玉取祭は別名「玉せせり」といい、全国に知られる祭(九州三大祭)である。起源は定かではないが、今から約500年前の室町時代に始まったとされ、昔から盛大かつ厳重に行われている神事です。
午後1時の玉洗い式にて祓い清められた陰陽2つの木玉は、東側に約250m離れた場所にある末社玉取恵比須神社に運ばれる。ここで祭典の後、陽の玉は裸に締め込み姿の競り子達に手渡され祭典開始となる。
この玉に触れると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれており、競り子達は勢い水を浴びながら陽の玉をめぐり激しい争奪戦を繰り広げながら、本宮に向かって競り進みます。やがて楼門に待つ神職の手に渡され、陰陽2つの玉が再び揃って神前に納まり、めでたく神事は執り納めとなります。陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は、一年の吉凶を占う年占いの意味合いもあり、陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁と云われている。
<玉の由来>
玉の由来は定かではないが、神功皇后三韓征伐の際に龍神の捧げた満珠干珠の玉にあやかったものという説、明応三年(1494)正月に博多上須崎の原田某なる人が筥崎宮に詣で、お潮井浜でキラキラ輝き海上に浮き来る2つの玉を拾ったという。また天正年中(1573-1591)肥前呼子の商人が、博多の海上でこれを拾ったと云われ、そのうち1つを筥崎宮に奉納したが、夜に光を放って鳴動するなど、たびたび不思議なことがあるので、他の1つも筥崎宮に納めたという。
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